「幕末を駈けた十津川郷士」

時代が動くとき「十津川」の名前は歴史に数多く残っています。 幕末の最大のミステリー「坂本竜馬暗殺事件」では刺客が「十津川郷士」を名乗っています。京都御所の護衛も任されていた勤皇家の十津川郷士の名を語り、竜馬を安心させ油断させたともいわれています。いずれも真相は謎のままです。

明治維新の魁となった「天誅組(てんちゅうぐみ)」にも多くの十津川郷士が参加しました。 十津川郷士の勤皇精神は古くは神武天皇御東征の際、山深い吉野の山中を先導した 「やたがらす」が祖先であるといわれています。 その後も南北朝時代は南朝の天皇をお護りし、村内には南朝ゆかりの歴史遺跡が数多く残されています。 十津川村の歴史と文化が詰まった歴史民俗資料館にぜひお越し下さい。

十津川村歴史民俗資料館では十津川郷士「中井庄五郎」の佩刀(はいとう)が展示されています。 居合いの達人であったといわれる中井庄五郎は坂本龍馬と親交があり、龍馬からは「青江吉次」という刀を贈られる程、親しかったであろうといわれています。  龍馬・中岡が暗殺されるや否や、刺客が「十津川郷士」の名を騙されたこともあり、 庄五郎は必死に犯人を捜したそうです。 庄五郎は敵討ちとして、海援隊の陸奥陽之助(のちに宗光)らと共に、 当時暗殺の黒幕であると噂された紀州藩士 三浦休太郎が天満屋にいるところを襲撃。 (天満屋事件) 一番に乗り込んだであろうとされる庄五郎は、新撰組に斬りつけられ討ち死に。  龍馬のために命を賭けた男は享年21。若き命を散らした庄五郎は、 今でも京都霊山の龍馬のお墓のそばで幕末の志士たちと共に眠っています。